LOGIN「マーケティング部、水野です」
社食だから普通の飲食店よりは通話について寛容ではあるが、それでも目立たない窓際に立ち、遥は恐る恐る電話に出る。
「藤堂です。ぶしつけに電話をして申し訳ない。今、時間大丈夫だろうか」
意外と柔らかい物腰に意表を突かれながらも、遥は問題ない、と答える。
「チャンネルに投稿してもらった話を読んだ。できればどうなっているか直接聞かせてもらいたいのだが。たまたま今、場所的にはかなり近いところにある、別のクライアントと打ち
「わたしに主担当になれ、ってのはただ、仕事を円滑に回したいだけだとは思うんだけどさ」 藤堂と短い打ち合わせをした、翌日の昼休み。 少し早めに職場を抜け出して、見晴らしのよい窓際のカウンター席で、遥は麻衣と昼食を取る。ついでに、主担当になってほしい、という藤堂のある意味爆弾発言を、なるべくなんでもないかのように麻衣に聞かせた。 このところずっと胃の調子が悪い遥は、売店のレトルトのおかゆだ。社食備え付けの電子レンジが役に立つ。 温め過ぎたおかゆで舌を火傷しないよう、そおっとスプーンでおかゆを口に運んでいる遥を横目に、麻衣はサンドウィッチとスープで優雅にランチを楽しむ。「とはいえ、あの『氷の機械』がよくもまぁ、そんな越権行為のようなことを言ったわわねぇ」 たしかに、チーム人員のやりくりは外から口出しすることでもないし、そもそも藤堂は受注側だ。発注側の人員配置にに口を出すなど、とんでもないことのはずだ。そして、それがわからない藤堂でもないはずだ。「それはそう!」 遥は、まず麻衣の言い分に同意をし、さらに引っかかり続けていることを口にした。「でもなんでわたしなんだろ。鈴木君が気に入らないなら、普通、その上位のマネージャーを指名しない?」「あんたが気に入ったんじゃないの?」 思わず熱いおかゆをそのまま飲み込みそうになって、遥は慌てる。「き、き、気に入ったって……そ、そんな対した働きぶりを見せたわけじゃないわ」 明け方の夢の、壁ドンしてきた藤堂の姿を思い返して、心臓の鼓動が乱れる。 麻衣は夢を知らないんだから、そんな好いた惚れたの方向では絶対言ってない。 麻衣は自分にそう言い聞かせて、あえて「働きぶり」という言葉を使い、注意深く仕事の話として平静を保つ。「そう?はたから見ていたら、あのリスケの調整の仕方は十分シゴデキよ?」「そうかなあ」 麻衣が、仕事ぶりの話に振ったので、早とちりしなくてよかった、と遥は安心する。 しかし、麻衣はあっさりそんな遥の気持ちを裏切った。「でも本当に、遥のことを異性として気にし始めたかもしれないわよ?」「ちょっ」 おかゆを呑み込んだ後でよかった、口に何か入ってたら、確実に吹き出してた。 壁ドンをしてきた藤堂のイケメンぶりが浮かび、遥はうろたえる。「まぁ、異性として、っていうのは冗談としても。あの藤堂さんなら
遥は、社外ミーティングコーナーへ向かい、途中にあるドリンクコーナーに立ち寄る。 来訪者に向けてお渡しするミニサイズのペットボトルが並んでいる。 遥は男性にはコーヒー、女性にはお茶を選ぶことが多く、惰性でコーヒーに手を伸ばしたが、少し逡巡してミネラルウォーターを選んだ。 なんとなく、藤堂はコーヒーには、というかコーヒーに限らずこだわりがありそうで、そういうタイプの人にはミネラルウォーターの方が無難な気がしたのだ。 押さえたCの205会議室は、麻衣がちゃんと手を入れてくれたようで、空調が効き、ブラインドも適度に開いている。麻衣の仕事ぶりに安心して、トートバックを置くと上座にペットボトルを置き、ノートPCと会社のスマホだけを手にすると、受付ロビーに降りて行った。 ロビーに降りると、真正面に藤堂が端正に佇んでいた。 なんと絵になる人なのか。遥は思わず感嘆する。 そう思う気持ちをすぐに抑え、軽く会釈をすると藤堂に近づく。「お待たせしました。ミーティングコーナーを押さえられましたので、こちらにどうぞ。入館手続きは?」
「マーケティング部、水野です」 社食だから普通の飲食店よりは通話について寛容ではあるが、それでも目立たない窓際に立ち、遥は恐る恐る電話に出る。「藤堂です。ぶしつけに電話をして申し訳ない。今、時間大丈夫だろうか」 意外と柔らかい物腰に意表を突かれながらも、遥は問題ない、と答える。「チャンネルに投稿してもらった話を読んだ。できればどうなっているか直接聞かせてもらいたいのだが。たまたま今、場所的にはかなり近いところにある、別のクライアントと打ち合わせが終わったところなので、都合が合えば寄らせてもらいたいのだが」 えぇぇ。直接?そしてこの言い方だと、割とすぐ? ドギマギしながら、遥は努めて冷静な声を出す。「はい、弊社にはあとどれぐらいで到着のご予定でしょうか?」「30分で着く」 ひゃぁ、30分? と、心は騒がしく声を出すが、そこはぐっとこらえ、遥は軽く微笑んだ。
涼やかな後藤の声がフロアに響いた。「ミスを隠してどうにかしようなんて、いつの時代の話ですか?今の世の中、もう令和ですよ。何でも透明性を確保して進めるのが一番です」「おまっ」 鈴木がガタッ、と立ち上がり、その場の雰囲気が一気に悪くなる。 自分が起こした行動で思わぬ波紋が広がり、遥は思わず痛み始めた胃のあたりを押えた。そして場を収めるために口を開こうとした瞬間。「鈴木、落ち着け。ちょっといい気になりすぎだ。後藤の言い方もどうかと思うが、一理ある」 いつも鈴木の肩を持つマネージャーの原が静かに声を上げた。「お前がいつも、何かの調整をするときに今回の水野のように投稿する癖さえつけていれば、俺はお前が製造部に根回ししてないということに気が付いてフォローもできた。だが、お前は常にどこにも投稿しないし報告もしてこないから、『今回も見えてないだけで、根回ししているんだろう』と思ってしまった」 原は短く息をつく。「すべてうまくいけばいいが、やはり抜けてしまうこともあるだろう。今回のように。鈴木、少しやり方を考え直せ。……水野」「は、はい」「チャンネル投稿は間違ってないから気にするな。悪いがリスケのフォロー、頼む」 今までマネージャーの原にフォローされた記憶のない遥は、何が起きているかよくわからないながら、何とか頭を下げて了解の意を伝える。「打ち合わせ、行ってくる」 原はノートPCをパタリ、と閉じると小脇に抱えて会議室に向かってしまう。 原がとりなし、その後すぐ退場したことでようやく弛緩した空気の中。 ほとんどのメンバーがPCに向き直って仕事を再開していっているというのに、小田だけは険しい笑顔でこちらに歩いてきた。 逃げた方がいいかもしれない。 本能的にそう思った遥だが、うまくその場を離れる方法を思いつくことができない。小田はあっという間に遥の前までやってきた。「鈴木さんのあとは、マネージャーに鞍替えですか?意外と男好きするんですね、水野さん」 嫌味な嫌な笑顔で、痛烈な皮肉を言う。 あの、麻衣と飲んだ夜に見た夢での小田、そっくりな笑顔と発言内容だ。 ……あの夢、あながち間違いじゃないんだなぁ。 まさかの夢と同じ現実に思わず毒気を抜かれ、反撃も忘れ呆然と歩き去る小田の背中を、遥は見送る。 がん、と大きな音を立てて鈴木が席に座り直したこ
今日は、いつものイタリアンでランチね。午前中の仕事は、きっちり終わらせておいてよ。 社内チャットで麻衣から連絡が飛んできて、わかった、と遥はいいねマークを押した。 だけど、本当にランチ行けるかな。 ちょっと不安に思いながらチーム定例の場に向かう。 進捗状況が共有される中、遥は痛む胃をこらえながら手を上げる。「あの。製造部門から、最終試作品の上りが一週間遅れる、と連絡があり……」「どういうこと、それ」 すべてを言う前に、鈴木がとがめるように声を出す。「試作の上りが遅れたら、製品写真撮りのスケジュールが狂っちゃうじゃん?なんでちゃんと調整しないわけ?」「調整はっ……」 反論しようとする遥を見ることもなく、鈴木が言葉をかぶせてくる。「でも遅れるんでしょ?仕事は結果がすべてだよ。遅れてしまうなら、調整したって言わないんだよっ」 吐き捨てるように鈴木が言う。視界の端に、嘲笑を浮かべた小田の顔も目に入った。さすがに遥の頭の血が逆流する。 口を開こうとしたとき、横から冷静な声が響いた。麻衣だ。「お言葉ですけど鈴木さん。バッファを見てスケジュールを立てていた水野さんのブツ撮りの日程を強引に前倒ししたのは鈴木さんですよ。一か月も前のことですからもう忘れました?議事録出しますけど」 同時に、大型ディスプレイに一か月前の議事録が投影される。 たしかに、鈴木が製品写真撮りのスケジュールを前倒しすることを決定した、と記録されている。「だっ、だけど、それを承知した方にも責任があるだろう!」「水野さんは間に合わないリスクが高い、と発言したことが記録されています。そのあと、製造部に知り合いがいるから根回しするって言っている鈴木さんのお言葉も記録されていますよ。よくご覧になってください」 麻衣がとどめ、とばかりに鈴木の発言の個所をズームインする。「根回し、どうなっているんですか?」 ぐ、とつまった鈴木を見て、マネージャーの原が仲裁に乗り出す。「ま、鈴木もこのところ昇格で負担が増えていたからしょうがない。水野、今はそこのスケジュール担当なんだから、根回しできていたか、フォローしてやってもよかったんじゃないか?とにかく、製品のあがりが遅れるから撮影の調整して、って藤堂さんのところに言っておいてよ」「わ、わたしがですか?」「あぁよろしく」 なぜ。ここは
「あら。なんか、男みたいな人がいると思ったら、水野さんじゃないですか」 ……これが一体どういうシチュエーションなのかはちっともわからないけど、長身を引き立てるマーメイドドレスを着ている。こんなドレス着ていて、どうやったら男みたいという比喩ができるのかと、遥は発言の相手、小田日向子を見つめた。遥から鈴木を奪い取っていた職場の後輩だ。確かに、ふわふわの実に女子らしいドレスをまとってはいるが。「ねぇ水野さん。知ってました?修平って本当は、バリバリ働くタイプじゃなくて、家事得意で男性を立てる、かわいらしいタイプの方が好きなんですってよ」 ねちっこい嫌な笑い方をして、小田は遥を追い詰める。 おかしいな。悪意はある子だけど、こんなに嫌な言い方する子だったっけ。 これじゃまるで、ショートドラマの悪女じゃないの。「あーーっ!!」 遥は思わず大きな声を出す。 わかった。これはまた夢だ。昨日みたいに、いきなりビンタされるところから始まるよりましだけど、でも小田にここまで言われる始まりも、心臓によくない。 そして、修平――もう鈴木をしたの名で呼んでるのか、と思うが、それが現実なのかどうかわからないし、彼氏としてはもうどうでもいい。 夢なら気を悪くするかも、なんて考えなくてもいいんだから、この場を離れよう。 そう思って踵を返したのだが。「きゃぁぁっ」「日向子!どうした!」 悲鳴とともに何かをパチンとたたく音がした。 そしてそのあとすぐに続いた聞き覚えのある声に、いやおうなしに遥は振り向く。 えぇぇ。またでてきた、敵役の男として鈴木が。 そして、小田が自分の右頬を押さえて、目に涙をためている。 なんなの。ビンタはされてないけど昨日の夢の話が続いているのか。 嫌味な母の代わりに、嫌味な今カノが新キャラクターか?「わたし、スレンダーなドレス、すごく大人っぽくって似合ってますね、わたしかわいいドレスしか似合わないからうらやましぃんです、って言ったら、水野さんが突然……ビンタを……」 潤んだ目で、小田は鈴木に訴える。 なんと。今日はわたしがビンタをする番だったのか。いや、してないけど。 あまりのことにのけぞりそうになったが、遥は何とかこらえる。 それにしても、しっかり「遥にはかわいいものは似合わない、似合うのはわたし」という人を下げる味付けをしながら